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北海道の写真家廣澤順也のブログ


by j-hiro2004
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アンコールワット第二部

アンコールワット第二部
お昼過ぎに一旦ゲストハウスにもどり、シャワーを浴びクーラーの効いた部屋で休息。
お昼から3時頃まではとにかく出歩かず休むのがカンボジア流。
しかし、午前中は予定がスムーズに行かず、一カ所で長く休んでしまったので、午前最後のタプロームはお昼に掛かってしまった。気温は38度近くになっていた。自分は森の中だったのでがぜん元気に見て回ったが同行の二人は暑さで参ってしまった。
午後4時過ぎ、気温変わらずだが出掛ける事にする。トゥクトゥクドライバー君はお昼の最中、ずっとゲストハウス前の木陰で休んでいた。1日中つきあわせて15$。ちょっと申し訳ない気がするが、こちらでは日当としては高級取りだ。日が少し傾く中、二人乗りや自転車を担いで運んでいるバイクを抜きながらアンコールワットへ。
アンコールワット、西門から入る。西日が背中を焦がすように射込んでいた。乾季のため、すべてが乾いている。無性に雨のアンコールワットも見たくなった。
アンコールワット第二部_d0055635_15175237.jpg

中央の塔にむかった参道を歩く。
これが1973年当時26歳の戦場カメラマン一ノ瀬泰造が命を掛けて一番乗りを目指したアンコールワット。当時内線下のアンコールワットはクメールルージュの支配下で西側の人間はだれも見た事がなかった。「地雷を踏んだらサヨウナラ」と言葉を残し潜入し地雷原を突破しアンコールワットに向かった一ノ瀬は捕まり、11月処刑されたという。
その前年シュムリアップに滞在した泰造は小学校を始め子供たちや街の写真を沢山撮っていた。帰ってからその作品の日付を見たら1972年6月14日。そう自分のが産まれた日の数日前。多分撮影した小学校は泊まっているホテルから見える学校だと思う。内線下の街の人の写真には笑顔が見られるのは不思議だった。町の人から愛されていた泰造氏が撮ったからだろう。なんだか不思議な気がした。
そのシュムリアップやアンコールワット、今平和裏に世界中から観光客が訪れている。

第一回廊、第二回廊とくぐり抜け、中庭に入った。第三回廊は急な階段を上った塔の中。K君がかかんに階段を上り始める。結構急に見えるが、簡単そうに登り始めた、3分の1くらい登った所で振り返った見下ろしたK君、顔が引きつっていた。記念写真だけを撮ったら降りてきた。
階段自体がすでに斜めになっているので降りるのが怖かったと興奮気味、長年登った後で階段の角を斜めになっている。石をも削る巡礼者のあと、歴史の重みだ。
アンコールワット第二部_d0055635_15181091.jpg

一旦に西門に戻り屋台見学。いろいろな物を売っている。お約束の虫の佃や揚げ物。蝉が真っ黒になって山積み。他にはコオロギ、タガメ、ゲンゴロウ、クモなどはメジャーなおやつ!?
そしてふ化寸前のアヒルの卵、もうアヒルの形をしているのを茹でてあるのだ、卵と見るかアヒルとみるか、、、
これらさすがにパスして、安全な団子とサトウキビジュースを買ってみる。
小学生くらいの女の子が簡単な機械でサトウキビを搾り、搾ったジュースはビニール袋に入れてストローをつけて渡してくれた。
「オークン」(カンボジア語で「ありがとう」)。カンボジア人はまじめで勤勉な国民、日本人に似ているそうだ。
アンコールワット第二部_d0055635_15182494.jpg

もうすぐ日没。オレンジ色の太陽が沈み掛けていた。夕方になると環濠(アンコールワットを取り囲む堀)の水辺に人々が集まってきて敷物を引いて思い思いに涼んでいる。
夕陽が大地に沈む直前、ふっとアンコールワットが輝いた。
アンコールワット第二部_d0055635_15183992.jpg

半月が輝き始め、夜の帳が降り始めた。
環濠の向こうに水牛の群れが水辺に現れ、どこからとなく出てきた犬が、水辺に入っていき水を飲んでいる。
西の空に一番星が輝き始めた。子供たちの姿がシェルエットになる。
今日のクライマックスだった。
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by j-hiro2004 | 2007-03-30 15:04 | カンボジア